ご無沙汰しています。
Twitterの方に書くとネタバレになるので、こっちで「ボーはおそれている」の感想を書こうかと。
Twitter的な感じで書いていくので、そこまでちゃんと文章作ってません。考察とかじゃなく、ただの感想というか、頭に浮かんだことです。
ネタバレ的なのもそうなんだけど、少なくとも見た人じゃないと読んでて分からないと思う。
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見終わってまず呟いたことは「悪夢が終わらない感じ」でした。見た人はわかると思うんですが、序盤から割と悪夢の中で悪夢を見て、起きたと思ったら実はまだ悪夢で…みたいな感覚で展開が進んでいくんですよね。
そういうことはストレス環境だと自分でも時たま起こるんですが、それを思い出した、というより思い起こさせられた。
その後にどっと疲れた感覚。向こうの世界にまだいるような感じ。主人公の世界の中で、主人公の目線で生きて、そして死んだような感じ。
死んだら、一人称視点では何も無いからね、そういう意味でも、エンドロールの雰囲気は多分に影響したと思う。
そうそう、私はあの映画を一人称視点で見ていた上でなんだけど、心療内科的に統合失調症患者から見た見た景色を見ようとしたらこうなった、みたいなことも思った。あと、4週間精神科を回ってる時に聞いた話を一気に3時間に詰め込まれたような感覚。
客観的に映画を見ると全員狂ってる。まぁそれはこういう系の映画あるあるなのかもしれんけど(?)
「自分が不安定で心もとないのは自覚しているし他人の表面を信じようとしないと他に何を頼ればいいか分からず、周囲の対応が狂っている事に怒るよりも困ることしか出来ない」主人公
ってのがとても良かった。
なんて言うか、ママさんも言ってたけど「自分で何かを選ぼうとしない」って言うのが、この自分自身への諦念感情があると思うんだよね。主人公は無自覚なんだろうけれど。ママさんと支配関係にある事が人間関係の基礎になってしまったんだろうね。そういう意味で最後の断罪はカワイソス。
そうそう、最後の断罪について
本人にとって、あの断罪がもっと理不尽な死だったら救いだったろうに。と思った。
理不尽な死ではない、つまり理由があって正当性があるとすると、彼が生きてきた全てが否定されたようなものだと思う。罪を咎めるのではなく、人を咎めるような。
そうやって思うのは、私が一人称であの映画を体験したからなんでしょうか…。
途中途中でも、「ああ、この人はずっと、無自覚に消極的に死にたがってるのかもしれない、というか死んだ方が救われるだろうに結局生き続けなきゃいけないんだろうな、それが人生だよなあ……」と感じた。特に森の芝居途中くらいで。
でも、最後の死に方で、何も知らずに生きていく方が救いだったのに、と思わされた。
結局、人生なんて救われないんだ。という感じ。
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うーーーん、これでいいのかな。
映画見た人で、共感できる人が共感できればそれでいいや。何となく、つらつらと感じたことを書き連ねてみました。
では、また。